biography
kao
2003
02
「そろそろ何か始めませんか」と、カオリコのもとへ隣町のセリカから1枚の葉書が届く。
07
カオリコの大学時代の友人へんちゃんをボーカルに誘い、3人でスタジオ入り。
Buzzcocksやradio birdmanなどパンクのカバーを中心に、国分寺、吉祥寺のスタジオにて活動。
11
友人結婚式にて3曲ほど初披露
THEJAMを彷彿とさせる祝曲「40の春」(原曲は沖縄民謡「19の春」)他、ビートルズ、リンクレイなどカバー。
この頃からリズムマシン打ち込みを始める。
 
2004
03
セリカ、肺炎にかかり入院。
04
セリカ退院、ベースボーカルとなり2人+リズムマシンの3ピーススタイルで活動開始。へんちゃん中国へ
07
ドラマー不在、バンド名なしのまま、横浜7th AVENUEで初ライブ。 とあるライブ版の完コピで、25分で16曲ぶちかます。
09
セリカ入院に肖り、コンビ名をhi-ends(肺炎ズ)とする。
12
「hi-ends」名義になり武蔵境スタットで初ライブ
2005
05
オリジナル曲完成
2008
03
カオリコ、Springhaze(現在活動休止、その後Bad manner youngとしてドラム:まなやん、なつこ(ロッカチェリー)と活動中)ギターへ加入
2010
06
hi-endsとして再び、武蔵境スタットへ出演。このあたりから月1ペースでライブを行うようになる。
2012
09
hi-ends企画第一弾『奇兵電閃 〜第一閃〜』を武蔵境スタットにて行う。予想外の大勝利を収める。企画タイトル「奇兵電閃」は、上の句「奇兵」はカオリコ、下の句「電閃」はセリカの提案による4文字造語である。
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